水ノ瀬ゆいへの処方箋2011年12月の日記(feelDiary by useWill.com)
これは水ノ瀬ゆいの日常の思いを綴った日記(駄文ともいいますが)です。つたない文章ですが、楽しんでいただければ嬉しいです

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[2011年12月8日 16:4]
あまり話せなかった今日はクリニックでした。

着いたら誰もいなくてすぐに呼ばれました。

“調子はどうですか?”

“良かったり悪かったりです”

“お父さんはどう?”

“今日は休みで家にいるんです”

“やっぱり家にいると違う?”

“少し嫌ですね”

“看板とか、テレビとかは気にならないんだっけ?”

“今はあまり気にならないです”

“幻聴は?”

“ファとソの音がします”

“音楽なんですね、パソコンはいじってないの?”

“毎日はしなくなりました”

“じゃあ、日中はぼんやりしてるの?”

“そうですね、寒いから布団にくるまってぼんやりしてます”

“そうだよね、最近寒いものね”

“そうですよね…”

と、ここまで話すとカルテをめくってにらめっこしながら

“えーと、以前ハルシオンからマイスリーに戻したんだよね、どうですか?”

“最近、耐性がついてきたみたいなので、メールで相談できる先生に聞いたら、マイスリーとエバミールを2,3日切れって言われたので今飲んでないんです。これで大丈夫なんですかね?”

“うーん、どのくらい効果があるかは分からないけど、抜くのもいいかもしれませんね、増やすよりは”

“だから今眠れないんです”

“そうでしょうね…、じゃあお薬は今までと同じでいいですか?”

“はい”

“じゃあ、出しておきますね”


で、診察終り。

今日は喋るネタがなくてこんなもんでした。

[2011年12月22日 15:46]
今年最後の今日は今年最後のクリニックでした。

混んでるかなあ…?と思いつつ入ってみるとほとんどいませんでした。

すぐに名前を呼ばれて診察室へ。

“調子はどうですか?”

“たまに悪いですが、それ以外はいいです”

“お父さんはいるの?”

“はい、昨日から5連休なんです”

“大変だね”

“はい”

“そういうときは部屋に篭ってテレビとか見てるの?”

“部屋にテレビはないので、布団の中でぼんやりしてます”

“最近寒いからね”

“そうですね”

“ネットは飽きたって言ってたんだよね?”

“はい、あまりしないです”

“えーっと、最近看板は気にならない?”

“幻聴はする?”

“はい、ファとソの音がします”

ここまで話した後、ちょっと自分の中で負担になってることを話しました。

“今、震災で壊れた自宅の修理に業者の人が来て、それが負担なんです”

“あなたの家は…、○○かあ。そっちの方は被害が少なかったんじゃない?”

“そうですね、はい”

“でも、今ならまだ修理が早い方だからいいんじゃないですか?”

“はい。でも、私の部屋にも来るので嫌ですね”

“それは大変ですよね”

と、ここまで話したあと

“お薬どうしますか、再来週ならちょうど休み明けですから”

“それだと混みますよね?”

“うーん、混むとおも…いますね”

“じゃあ、3週間分出してください”

“はい、分かりました”

“あと、モーラステープはいらないです”

“あ、そうですか”

“痛みがとれたのでもう何日も張ってないんです”

“それはよかったですね”

“はい、1年くらい痛みが続いてましたから”

“じゃあ、腰の痛み完治、と(カルテに書く)”

“先生、また出してもらうようになるかもしれませんから”


と、こんな感じで診察終わり。

今年も一年、無事に通院できました。

[2011年12月31日 13:19]
今年を振り返るこんなに不幸な一年も珍しいのではないかと思うほどの一年だでした。

3月の東日本大震災。

宮城在住の水ノ瀬はもろにあの凄まじさを味わいました。

揺れている間、壁や天井が崩れてリアルで死ぬと思いました。

その後も余震が酷くて、ちょっと音がしただけで身構えるようになりました。

そして、これを読んでいる全国の方はもう余震なんて収まったと思っていると思いますが

まだ続いています。

今朝も軽く揺れました。

年末には余震はなくなるだろうと水ノ瀬は思っていましたが、

かなり甘かったようです。

でも、この震災を体験したから

当たり前のことがどんなに幸せなのかが分かった一年でもありました。

電気がつくこと

手を洗えること

布団で普通に寝られること

病院で薬をもらえること

なんでもいいから食べ物があること

他にもありますが、地震の時はこれらもままなりませんでした。

水ノ瀬は津波とは縁の遠い内陸部に住んでいるために

この程度で済みましたが

津波被害にあった方が沢山いると思うと、申し訳ない気持ちになります。

そして、ボランティアで支援をしてくださった方に、本当にありがたい気持ちになります。

水ノ瀬の住んでる地域にも来て下さり、

朝から夕方まで、給水車の水をペットボトルに入れてくれました。

吹雪の時もやっていただきました。

体はがたがた震えながら。

“ありがとうございます”

以上の言葉をかけたくて、一生懸命考えましたが思い付かないことが、ちょっと悔しかったです。

でも、本当に何度も使いました。

“ありがとうございました”

水ノ瀬は一生忘れません。




そして、不幸はこれだけに終わらりませんでした。

9月に祖母が亡くなりました。

92歳でした。

水ノ瀬は、ちっとも祖母のとこに行かない人でした。

小さい頃は行ってたんですが、

段々めんどくさくなり

大人になってからは一回しか行きませんでした。

仕事で疲れてることと、仕事を辞めて療養生活になってからは

“○○に見られてる感じが嫌だ”

“同じ部屋の婆さんは水ノ瀬のことを変な目で見る”

と思われるんじゃないかと、恐怖の固まりになってしまって

全く行けませんでした。

今更後悔しても遅いのは分かってます。

だけど、ありがとうの気持ちで一杯です。

おばあちゃん、ありがとう。

そして、ごめんね。

天国でどう思っているのでしょうか…。



振り返ると、この二つがメインの一年でした。

ああ、言い忘れてました。

水ノ瀬が部ログの更新頻度が鈍くなったのは、

震災からです。

それまで張り詰めていた気持ちが切れてしまったのです。

だから、通院したときにしか書かないような状況になってます。

来年もこんな感じだと思います。

そして、来年こそ平穏な一年でありますように。

よいお年を。

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